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摘要
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本研究では、会話分析を用いて在日外国人が日本人に対して「日本に関する愚痴」を話すことを求められた際の相互行為の展開を検証する。さらに、そのやりとりを通して交渉される参与者のアイデンティティをポジショニング理論(Bamberg 1997)を援用して考察する。本研究が扱うデータは、日本人調査者(筆者)が日本で子育てをした台湾人母を対象に実施したライフストーリー・インタビューの会話である。
分析では、調査者が「周囲に子育てや生活について相談したり愚痴を言い合ったりする台湾人がいたか」という趣旨の質問をして以降、実際に台湾人母たちが抱いていた具体的な不満の内容を聞き出すまでの相互行為の過程に焦点を当てる。3人の台湾人母のインタビュー会話を検証した結果、3者それぞれに異なる会話展開およびポジショニングの実践が確認された。
1人目のケースでは、台湾人母は自発的に不満の内容に言及した。しかし、「愚痴を言ってもしょうがないので」、「日本はけっきょくこういう感じです」と前置きすることで、続く不満の内容を「愚痴」ではなく「日台の教育文化の違い」に転換して提示していた。そのような発話構築を通して、「日台の相違を受容している私」というポジショニングが実践されていることが明らかになった。
2人目と3人目のケースでは、「台湾人同士で愚痴を話すこと」については肯定したにも関わらず、具体的な不満の内容は先延ばしにする実践が見られた。2人目の場合は、自分は愚痴を言わない理由を述べることで、話題が不満の内容から逸れる展開になった。調査者が不満の内容を追求すると、台湾人母は「自分はその輪に入らない」と断言してから、最終的に不満の内容に言及した。この発話の組み立てを通して、愚痴を言う他の台湾人と自身を対比させ「好きで日本にいる私」「日本文化をよく理解している私」というポジショニングが実践されていた。
一方、3人目の台湾人母は愚痴の内容を求める調査者の質問に対し、笑いや沈黙などで応答を遅延させた後、「日本人の不思議なところ」という抽象的な返答を産出した。それに対し、調査者は共感を示すことで「台湾で子育てをしている日本人母」というポジショニングを実践し、調査者自らが台湾生活に抱く愚痴を開示した。その発話を契機に談話アイデンティティ(Zimmerman 1998)の交代が生じ、調査者が台湾でのカルチャーショックや愚痴について語るという展開に発展した。この調査者の語りを受けて、台湾人母は「在台日本人の抱く不満の対極が在日台湾人の抱く不満である」という形式で愚痴を開示した。この一連のやりとりでは、調査者と台湾人母が「互いの国で子育てする者」や「日本と台湾の双方をよく知る者」として相互に対比させつつ連携するという複雑なポジショニング実践が観察された。
上記3例の会話展開は三者三様だが、共通して見出されるのは、3者とも何らかの方略を用いて調査者が志向する「日本に不満を抱く台湾人」というアイデンティティに抵抗する実践である。この抵抗は、外国人の立場で相手の国についての不満を述べるという社会行為のデリケートさを改めて示唆する。本研究の知見は、被調査者と文化的背景や社会的立場を異にする調査者によるインタビューにおいて、語りの内容のみならず、その参与者間だからこそ展開した「いま・ここ」の相互行為の微細な分析を通じて、精緻なアイデンティティの交渉過程を描き出すことの重要性を改めて確認するものである。 |