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序號 學年期 教師動態
1 107/1 日文系 葉 夌 助理教授 期刊論文 發佈 村上春樹文学における地震 ――『神の子どもたちはみな踊る』から『騎士団長殺し』へ―― , [107-1] :村上春樹文学における地震 ――『神の子どもたちはみな踊る』から『騎士団長殺し』へ――期刊論文村上春樹文学における地震 ――『神の子どもたちはみな踊る』から『騎士団長殺し』へ――村上春樹文學中的地震-從《神的孩子都在跳舞》到《刺殺騎士團長》葉夌地震;暴力;原発;家族;次世代;地震;暴力;核能發電 ;家族;次世代|Earthquake;Violence;Nuclear;Family;The next generation台灣日語教育學報 31,頁195-2241995年に起きた阪神淡路大震災は村上春樹の故郷である神戸に大きな被害を与えている。家族、故郷への思い出を含みながら、村上春樹はそれをモチーフにして2000年に『神の子どもたちはみな踊る』を上梓している。人間は如何にして地震がもたらす暴力に対処するかという問題が、『神の子どもたちはみな踊る』に隠れている。一方、2011年に東日本大震災が起きた後、村上春樹は原発について否定的にコメントし続けている。そして、東日本大震災はようやく2017年に出版された『騎士団長殺し』に取り入れられている。村上春樹は、日本に大きな震撼を与えた二つの地震を日本が洗練された国家となるための試練と見ている。しかし、日本という国家のシステムはまだ上手く対応しきれていないと村上春樹は考えている。こうして、地震の後、人間は自立するしかない。また、家族への責任を背負わなければならない。さらに、血縁を超えて次世代への責任を果たせる存在として成長する必要があると両作品に繰り返し語られている。jp1993-7423國內是TWN
2 107/2 日文系 賴鈺菁 助理教授 期刊論文 發佈 江藤新平の近代国家の構想ー富国を中心に , [107-2] :江藤新平の近代国家の構想ー富国を中心に期刊論文江藤新平の近代国家の構想ー富国を中心にEto Shinpei's Conception for Modernization of Japan from the Perspective of National Wealth賴鈺菁江藤新平;明治時代;近代国家;外交貿易;内政賦税;江藤新平;近代國家;明治時代;外交貿易;內政賦稅;Eto Shinpei;Modernization of Japan;Meiji era;Foreign trade;Domestic tax台灣日本語文學報 45, p.168-191本稿はかつて明治政府の核心官僚の一員で、のちに「佐賀の乱」(1873)を起こした首謀者の江藤新平(1834〜1874)が、「富国強兵」をめざす日本の近代国家の形成の過程において、いかなる構想を持っていたか、外交における貿易と内政における賦税に焦点を当てて分析した。まず、外交貿易においては、江藤は幕末から一貫して、積極的に海外貿易を推進した。しかし、同時代の他の官僚や知識人に比べ、江藤は外国貿易がもたらす国内への衝撃をあまり顧みていなかった。これはまた、彼の外国貿易に対する論点の限界を表している。そして内政面においては、明治政府が維新後に幕府や各藩の債務を受け継ぎ、財政難に陥っていた状況において、江藤は明治元(1868)年に天皇を除き、士族から百姓まですべての日本国民が等しく税金を納めるべきだという論点を提起した。彼は、明治政府が「徴兵」、「廃刀」、「学制」など身分階級の悪習を打破する政策を打ち出す前に、すでに先進的な考え方を示していたのである。安定した税収を得るため、政府は税法を確立させる以外にないと、江藤は考えたのである。つまり彼は近代国家の構想において、当初の「会計と刑法」から「兵と法」という二本柱に変わったのである。jp1727-2262國內是TWN
3 107/2 日文系 曾秋桂 教授 期刊論文 發佈 AIのテキストマイニング技術による日本文学研究への支援--『多和田葉子『不死の島』を例にして , [107-2] :AIのテキストマイニング技術による日本文学研究への支援--『多和田葉子『不死の島』を例にして期刊論文AIのテキストマイニング技術による日本文学研究への支援--『多和田葉子『不死の島』を例にして曾秋桂AI;多和田葉子;「不死の島」;テキストマイニング技術;協働;AI;多和田葉子; 「不死之島」;文字探勘技術;協同合作;AI;Tawada Yoko;"Immortal island";text mining technology;collaboration淡江日本論叢 39, p.1-2021世紀のAI時代を生きている私たちにとって、各自が従事している分野をAIと関連して考えることを避けては通れない課題となっている。そこで、AIのテキストマイニング技術による日本文学研究への支援を試みることを本論文の研究目的とした。具体的に、2018年度国際交流基金賞を受賞し、同年11月にアメリカで最も権威を持つ全国図書賞(翻訳部門)も獲得した、越境作家として著名な日本人作家多和田葉子の『献灯使』に収められた「不死の島」を取り扱うことにした。従来の文学研究との違いを見極めるため、論者が長年研究し続けてきた「不死の島」の研究成果を対照に見ることも選択の理由に挙げられる。AIのテキストマイニング技術を駆使し、「不死の島」を解析した結果、従来の文学作品の精読を通した研究成果の精緻さには匹敵しえないが、ある程度、読みをサポートすることが可能だということを確認した。現在、情報通信技術では日々新しいプログラムが開発されている。例えば新聞記事を基準に編集されたMeCab用のIPA辞書の拡張などは、日進月歩に進化を遂げるAI技術を日本文学研究への支援に活かすことができる。今後の文学研究では、AI技術を文学研究に活かすことを目標に、文学研究者が駆使してきた読解技術の熟練を基礎としながら、AIと協働して産み出せる成果が期待される。 生活在21世紀的AI時代,研究者思考本身所從事的研究與A的I相關聯性,是一個無法避免的重要課題。於是本論文即嘗試應用AI文字探勘技術支援日本文學研究為動機而進行的研究成果。具體是以世界知名的日本越境作家多和田葉子《獻燈使》中收錄的一篇作品「不死の島」為考察標的。名著《獻燈使》獲得了2018年度日本國際交流基金獎、2018年11月再次榮獲美國最具權威的全國圖書獎(翻譯部門)。為了
4 107/2 日文系 曾秋桂 教授 期刊論文 發佈 グローバル時代のエコフェミニズムの視点から読む津島佑子の『ヤマネコ・ドーム』―許しの文学の誕生 , [107-2] :グローバル時代のエコフェミニズムの視点から読む津島佑子の『ヤマネコ・ドーム』―許しの文学の誕生期刊論文グローバル時代のエコフェミニズムの視点から読む津島佑子の『ヤマネコ・ドーム』―許しの文学の誕生從全球時代視域下的生態女性主義視點來閱讀津島佑子《山貓巨蛋》:饒恕文學作品的誕生|Yuko Tsushima's "Yamaneko Dome" by reading from the Viewpoint of Ecofeminism in the Global Age: The Birth of Forgiveness Literature曾秋桂エコフェミニズム;グローバル化時代;津島佑子;『ヤマネコ.ドーム』;許しの文学;生態女性主義;全球時代視域;津島佑子;《山貓巨蛋》;饒恕文學作品;eco feminism;global perspective age;Yuko Tsushima;"Yamaneko Dome";literature台灣日語教育學報 32, p.275-293東日本大震災後、津島佑子(1947-2016)は、文学の持つ必要性を身に沁みるほど感じ、作品「ヒグマの静かな海」、『ヤマネコ.ドーム』などを積極的に世に出している。特に16カ国以上にも及んで、9種類の人種、20名以上もの登場人物を登場させた、グローバル的視野を持つスケールの大きい、64年間の時代小説と見てもよい『ヤマネコ.ドーム』こそ、グローバル化時代において、エコフェミニズムの視点から読むに値する好材料である。津島佑子『ヤマネコ.ドーム』をエコフェミニズムの視点から読むと、日本社会に潜む偏見、差別だけではなく、世界に存在する人種差別、一国の利益の争奪を問い直すことができ、エコフェミニズムの視点が確かに有効だということが証明された。また、ポスト311の小説はよく「共生」という主題に收斂されがちだが、『ヤマネコ.ドーム』は他のポスト311小説とは違って「共生」にたどり着く前にある「許し」をテーマにし、特別な意味のある作品として評価できる。さらに、各階層の差別、偏見を生み出す悪を人間の本質として認識すれば、真なる共存の道が切り開かれ、これこそエコフェミニズムとしての許しの文学である『ヤマネコ.ドーム』が誕生した由来だと言えよう。jp國內否TWN
5 107/2 日文系 王憶雲 助理教授 期刊論文 發佈 岩野泡鳴『断橋』の「附録」についての考察—テクストの生成過程に着目して— , [107-2] :岩野泡鳴『断橋』の「附録」についての考察—テクストの生成過程に着目して—期刊論文岩野泡鳴『断橋』の「附録」についての考察—テクストの生成過程に着目して—解讀岩野泡鳴「五部作」《斷橋》之附錄-著眼於文本生成的過程-|A Study of the Appendix in Dankyo from the Pentalogy by Iwano Hōmei: The Process of Text Formation王憶雲岩野泡鳴;五部作;断橋;改稿;一元描写;岩野泡鳴;五部作;斷橋;改稿;一元描寫;Iwano Hōmei;Pentalogy;Dankyo;Revisal;One-Dimensional Narrative台大日本語文研究 37, p.39-62岩野泡鳴は〈五部作〉に繰り返し改稿の手を加えた。『泡鳴五部作叢書』が〈五部作〉の最終形態であるが、第二編『断橋』には本篇から削除された四つの断片が「附録」として収められている。本稿では「附録」のうち、〈お鳥の苦み〉の生成過程に見られる改稿を通して、泡鳴の意図を明らかにする。〈お鳥の苦み〉は、独立した短篇小説として発表されたもの(A)、連載小説として発表されたものの一部(B)、叢書『断橋』所収(C)、という三つのテクストが存在している。それぞれの内容に大きな違いはないが、人物の描写方法が異なっている。まず、AとBを見る。Aは人物描写に心を砕くことで、文壇で高い評価を得た。これに自信を得た泡鳴は各人物の内面描写をさらに増やし、Bを世に送り出したのである。次に、BとCである。Bは義雄を主人公とした物語の一部であったが、Cはお鳥を焦点人物とする物語に再生産されている。この改稿は、〈一元描写〉に基づいたものである。このように、泡鳴が小説家としての活動を開始してから〈一元描写〉へ向かう過程において、様々な方法を試みた跡が見られる。「附録」は、〈五部作〉や〈一元描写〉を理解する上で見過ごせない重要なテクストなのである。 岩野泡鳴的生涯代表長篇「五部作」,文本經過多次修改、發表以及出版,其最終型態為新潮社出版的《泡鳴五部作叢書》。此叢書之第二部《斷橋》收有〈附錄〉,乃本文中被刪除的部分,變成了四則短篇小說。本論文以其中一篇〈阿鳥的苦痛〉為中心,進行文本比較,藉由其改稿方式,來探討泡鳴的意圖,並試問〈附錄〉存在的意義。文本共有三種:最
6 107/1 日文系 曾秋桂 教授 期刊論文 發佈 「人工知能AIと外国語翻訳―多和田葉子『献灯使』を例にしてー」 , [107-1] :「人工知能AIと外国語翻訳―多和田葉子『献灯使』を例にしてー」期刊論文「人工知能AIと外国語翻訳―多和田葉子『献灯使』を例にしてー」人工智慧AI與外語翻譯:以多和田葉子《獻燈使》為例|Artificial Intelligence AI and foreign language translation: Tawada Yoko's 'The Emissary' as an example for case study曾秋桂Artificial Intelligence AI;Foreign Language Translation;Yoko Tawada;"The Emissary";Translation Software淡江日本論叢 38, p.27 - 4821世紀の日常生活では、AI(Artificial Intelligence)や人工知能という言葉をよく耳にするようになっている。日々の技術革新により躍進したAIに代替される職種リストには、教師という仕事も含まれている。外国語教育の5技能のうちの一つである翻訳は日進月歩の技術進歩を遂げたAIに取って代わられる可能性が大いにある。その中で、人文社会系の教育が脅威をもたらしているAIとどのようにかかわっていくかは、避けて通れない課題と認識する必要がある。本論文では「人工知能AIと外国語翻訳」をテーマに、実際の用例からAIとのかかわり方の一端を示す。研究手順として、まず、AIの語源.定義.歴史.分類を簡単に紹介する。次に今まで論じられてきた外国語翻訳に関する先行研究から諸課題をピックアップする。それに続き、論者が実際に翻訳した多和田葉子の『献灯使』を例に、現在よく使われていると言われる翻訳ソフトのGOOGLE翻訳、EXCITE翻訳(高電社)、Fresheye翻訳、百度翻訳の4種類を応用し、翻訳したものと比較対照する。最後に、その間の差異に着目し、AIとのかかわり方について、提言する。jp國內否TWN
7 106/2 日文系 落合由治 教授 期刊論文 發佈 教育内容の基本的類型についての考察─近代言語思想を超える領域を目指して─ , [106-2] :教育内容の基本的類型についての考察─近代言語思想を超える領域を目指して─期刊論文教育内容の基本的類型についての考察─近代言語思想を超える領域を目指して─落合由治パラダイム;ラング;パロール;身体;中動態;思考模式;語言;言語 ;身體;中間被動語態;paradigm;Lang;Parole;Body;Middle-dynamics台湾日語教育学報 30, p.81-109日本語に関する現在までの研究は、明治時代に近代的基礎が造られてから現在に到るまでほぼ同じパラダイムで展開してきた。100年前の西洋の思潮を模倣すること自体には何の問題もないが、それをずっと範例、模範の基準として規範化し、現在も研究に適用し続けてしまうことには大きなマイナスがある。第一は、「近代」の言語思想には基本的に限界があるという基本的パラダイム閉塞の問題である。第二は、ラング的言語観による教育モデル(ラング的教育観と呼ぶ)ではカバーできない領域が広がっている点である。本論文では、そうしたパラダイムの限界に対して、Tuning Projec tコンピテンシーやCEFR等の言語基本能力などが示唆している領域を主体の視点で見直し、近代の教育パラダイムの中心であった個人的主体中心の活動から、身体領域中心の活動、身体、他者、社会、異世界.異文化との接触においてなされる中動態領域中心の活動へと視点を拡大する必要性について述べた。近代教育を超える新しい教育をおこなう基礎には、近代的認知モデルを超えた新しい概念フレームが求められる。それは言語教育ではラングからパロールの領域に踏み込むことであり、主体以外との相互作用のジャンルに入り込むことである。jp國內是TWN
8 106/2 戰略所 李大中 副教授 期刊論文 發佈 トランプ大統領就任1 周年: 米国のアジア太平洋政策 , [106-2] :トランプ大統領就任1 周年: 米国のアジア太平洋政策期刊論文トランプ大統領就任1 周年: 米国のアジア太平洋政策李大中トランプ;米国のアジア太平洋政策;インド太平洋地 域;インド太平洋戦略問題と研究 47(1), p.83-1262017 年 10 月以来、トランプ政権は「インド太平洋」を地政学上、戦略的に最も重要な地域と位置づけている。トランプ大統領は 2017年 10 月にアジア 5 カ国を歴訪中、これまでの「アジア太平洋地域」ではなく、「インド太平洋地域」という表現を使い、この広大な地域を明確に示した。この概念は米歴代政権の習慣的な用法とは全く異 なる。「繁栄をもたらす自由で開かれたインド太平洋地域」の実現を目指し、トランプ政権は法の支配に基づいた国際秩序を強調し、インド洋およびインドの役割も重視している。この新たな構想は米国、日本、オーストラリア、インドの 4 カ国が戦略的に協力するための道筋であり、この構想が目指すところは中国包囲網であると見られている。本稿は、トランプ政権発足以来の外交政策の基本方針、「インド太平洋戦略」が米国の戦略的利益と地域にもたらす米中関係の動向も含めた複雑な意味合い、および米国による同盟システムへの影響、地域脅威に対する米国の対応などを深く掘り下げていく。jp0288-7738國內否TWN
9 105/2 日文系 曾秋桂 教授 期刊論文 發佈 ネイチャーライティングとしての『苦海淨土』の読み―近代という魔性との格闘と第三項認識の可能性― , [105-2] :ネイチャーライティングとしての『苦海淨土』の読み―近代という魔性との格闘と第三項認識の可能性―期刊論文ネイチャーライティングとしての『苦海淨土』の読み―近代という魔性との格闘と第三項認識の可能性―閱讀自然書寫作品《苦海淨土》—探究與所謂近代之魔性格鬥、第三選項的可能性—曾秋桂ネイチャーライティング;『苦海浄土』;故郷;近代という魔性;第三項;自然書寫;《苦海浄土》;故鄉;所謂近代之魔性;第三選項『台湾日本語教育論文集』第28号P304-322近年注目を集めている、文化的に自然と人間との関わりを研究する方法としてのネイチャーライティング(nature writing)を援用し、その中で重要視された「場所の感覚」としての「故郷」を、「空間」(space)、「場所」(place)、「居場所」の3 つのトポロジー(topology)に分け、『苦海浄土』(全3 部)を考察した。その結果、『苦海浄土』は「空間」、「場所」、「居場所」を兼ね備え、多層性を持っているが、一般論で言う文明批判者、反近代思想家としての石牟礼道子像が確かにある一方、日本古来からの説話、民話、詠歌をバネに、近代とは何かを洞察しようとした石牟礼道子の格闘があることが明確にされた。同時に、心に根付いた日本的精神風土への回帰もあることも確認された。とりわけ、石牟礼道子が近代技術文明と反近代思想に対して、日本の原文明を二項対立を産み出す第三項を克服する鍵として捉えようとした点は注目される。マイケル・ヤング(1915-2002 Michael Young)のメリトクラシー論のように欧米でも発想としての「近代」への批判は、未だ途についたばかりである中、『苦海浄土』で描かれた近代という魔性との格闘と自然と人間の対立の根源となる第三項認識と克服の可能性は、きわめて先駆的な業績とも言えよう。jp國內否TWN
10 105/2 日文系 曾秋桂 教授 期刊論文 發佈 エコクリティシズムから読む有吉佐和子『複合汚染』 , [105-2] :エコクリティシズムから読む有吉佐和子『複合汚染』期刊論文エコクリティシズムから読む有吉佐和子『複合汚染』生態批評主義論述下的有吉佐和子《複合汙染》閱讀風貌曾秋桂エコクリティシズム;有吉佐和子;『複合汚染』;読み;必要性;生態批評主義;有吉佐和子;《複合汙染》;閱讀;不可或缺必要性『台湾日本語文学報』41号P49-66「ストーリー‧テラー」と評された有吉佐和子の『複合汚染』(初出1974-1975『朝日新聞』、単行本上下1975)は、ややともすれば、「構成の破綻」、「型破りの小説」の悪評を受けている。今回、コクリティシズムの根幹を為す「環境思想における人間中心主義から環境中心主義への転移」、「人間中心主義の解体と環境中心主義」の観点から、『複合汚染』を読解した結果、大自然との調和、酷使する農薬による環境の複合的汚染をめぐる作家有吉佐和子の文学的関心と実践の軌跡の一端が明らかになった。ここから逆に考えると、「選挙」、「環境汚染」、「消費者運動」の三要素が絡む公害問題は、エコクリティシズムの視点によってこそ問題の重大さを認識できるという共通点によって、分裂していると言われた前半と後半を緊密に連結させており、後半の大自然との調和への大事な主張へと繋がっていくという構造をより明確に見出すことが出来た。これこそ、『複合汚染』の読みにエコクリティシズムの導入の必要性を裏付ける有力な証明だと言えよう。jp國內否TWN
11 105/1 日文系 周躍原 講師 期刊論文 發佈 日本語契約書の中訳指導について , [105-1] :日本語契約書の中訳指導について期刊論文日本語契約書の中訳指導について教導翻譯日文契約書周躍原契約書翻訳;予備知識;翻訳演習;誤訳の分析;契約書翻譯;預備知識;翻譯練習;錯譯分析淡江日本論叢 34,頁71-96学生たちが社会に出て、専業の翻訳者にならなくても日本ビジネスにかかわる会社に就職すれば、「日本語学科卒」ということだけで、日本語のスペシャリストとして期待され、メールからスペック、マニュアル、契約書にいたるまで様々なビジネス文章を翻訳させられる機会は意外に多い本稿では日本語契約書の中訳を導入するに当たって、予め契約書について説明しておいてから専門用語・法律用語を正確に調べること、権利と義務の表現を正しく使い分けること、同じ言葉には同じ訳語をあてること、文言で仕上げることなどの、契約書翻訳に関する予備知識を教えることを提言する。そして、学習者に契約書を訳してもらい、その訳文の問題点や誤訳を見出して分析する。それに基づいて学習者がよく犯す間違いの実態や原因を把握し、日本語契約書の中訳の指導法への示唆を得る。 日文系學生畢業後,即使不成為一名專業翻譯員,一旦進入和日本商務有關的企業就業,往往企業也會期待他(她)能翻譯各種商業文件資料,包括電子郵件、商品規格、使用手冊乃至契約書。本文旨在探討翻譯日文契約書的教學法。筆者首先建議讓學生練習翻譯契約書前,先就何謂契約書作說明,並教導和契約書翻譯有關的一些預備知識:譬如應確實查閱專業術語與法律用語;正確分辨權利與義務;統一同一詞彙之譯詞;以書寫體翻譯等。接下來再就學生的翻譯內容找出不適當的翻譯與錯譯,進行分析以掌握學生易犯錯誤類型與相關教學法。jp2075-356X國內是TWN
12 105/1 日文系 田世民 副教授 期刊論文 發佈 脇蘭室の思想ー聖賢に学ぶ修己治人の道ー , [105-1] :脇蘭室の思想ー聖賢に学ぶ修己治人の道ー期刊論文脇蘭室の思想ー聖賢に学ぶ修己治人の道ー脇蘭室的思想—向聖賢學習修己治人之道—田世民脇蘭室;歲闌漫語;修己治人;熊本藩台大日本語文研究 32,頁223 - 247本稿は、これまで近世思想史の中であまり注目されてこなかった豊後国(今の大分県)速見郡小浦出身の儒者脇蘭室(1764-1814)を取り上げてその思想を考えるものである。蘭室は、天明4(1784)年21歳の時、熊本に遊学し藪孤山の門に入って朱子学を学んだ。そして、天明5(1785)年とその翌年の2度に亘って、豊後富永の三浦梅園を訪ねて教えを請うた。さらに、天明7(1787)年24歳の時大坂に遊学して懐徳堂の中井竹山の門を叩いた。大坂での滞在はわずか5ヶ月だったが、その後頻繁な書簡の往復や33歳の大坂再訪などによって師竹山をはじめ懐徳堂周辺の知識人たちと密接な交流を重ねた。本稿は、まず蘭室の『歳闌漫語』といった著作を取り上げそこに込められた「修己治人の道」という大きなメッセージ、およびそれに関わる蘭室の顔子評価を考える。さらに、蘭室の思想がいかに熊本藩の指導者への建言書に集約され経世論として展開されていったのかを見ていく。 本文的目的是探討前此在近世思想史不受注目的儒者、豐後國(今大分縣)速見郡小浦出身的脇蘭室(1764-1814)的思想。蘭室在1784(天明4)年21歲時遊學熊本、入藪孤山(1735-1802)之門。翌年拜訪豐後的三浦梅園(1723-1789),向其問學請益。1787(天明7)年24歲時遊學大坂、師事懷德堂的中井竹山(1730-1804)。蘭室在大坂僅停留五個月,但是之後透過頻繁的書信往返、以及33歲時再訪大坂,與竹山及懷德堂有關的知識人之間有著密切的交流。本文分析蘭室的《歲闌漫語》等著作,探討其如何強調「修己治人之道」、並以此評價顏淵。還有,分析蘭室向熊本藩執政者的建言論著,來探討他的經世思想。jp1609-8978國內THCI Core;是TWN
13 105/1 日文系 江雯薰 副教授 期刊論文 發佈 「物語の構造から見た時間副詞について─「このころ」「そのころ」「あのころ」を中心に─」 , [105-1] :「物語の構造から見た時間副詞について─「このころ」「そのころ」「あのころ」を中心に─」期刊論文「物語の構造から見た時間副詞について─「このころ」「そのころ」「あのころ」を中心に─」An Investigation on Temporal Adverbs in Different Story Sections: Focusing on "konokoro," "sonokoro," and "anokoro"江雯薰このころ;そのころ;あのころ;指示詞;形式名詞;このころ;そのころ;あのころ;指示詞;形式名詞台灣日本語文學報 40,頁159 - 182物語の四層構造から見た三語の異同をまとめると、以下の通りである。発話部の場合では、「あのころ」は発話時を基準軸とするものであるが、「このころ」「そのころ」は出来事時を基準軸とするものであることがわかる。また、話し手と聞き手が共通に体験していない出来事について述べる場合や予想される未来の出来事を表す場合は、「そのころ」が用いられるが、共通に体験している出来事について述べる場合や独り言の場合や、話し手の特定の体験について尋ねられている場合は「あのころ」が用いられる。なお、話の流れの中で特に相手の注意をひきたい部分では、「このころ」が用いられる。それに対して、発話部以外の場合では、「このころ」は「コメント部」に、「そのころ」は「背景部」の「微視的背景」に、「あのころ」は「背景部」の「巨視的背景」に属する。このように物語の四層構造という観点から三語の使い方をみると、指示詞の「この」「その」「あの」からの影響があると言える。 從故事的四層構造來看「このころ」「そのころ」「あのころ」的異同點時可得知:在會話文的場合,「あのころ」是以說話點為基準而「このころ」「そのころ」是以事情發生的時間點為基準。還有,敘述說話者與聽者之間非共同體驗或表示預測未來的場合是使用「そのころ」,而敘述說話者與聽者之間的共同體驗或自言自語或說話者特定體驗的場合則使用「あのころ」。另外,在話題中特別想引起對方注意的場合則用「このころ」。相對於此,會話文以外的場合「このころ」屬於「評論部」,「そのころ」屬於「背景部」中的「微視的背景」,「あのころ」屬於「背景部」中的「巨視的背景」。如此看來,依故事的四層構造這個觀點來看「このころ」「そのころ」「あのころ」這三語
14 104/2 日文系 徐佩伶 副教授 期刊論文 發佈 日本語における非意図的他動詞文の実現に関する考察 , [104-2] :日本語における非意図的他動詞文の実現に関する考察期刊論文日本語における非意図的他動詞文の実現に関する考察徐佩伶非対格;非意図的他動詞文;他動詞性;項構造;概念構造日本學刊 19, pp.65-79本稿は、日本語の非意図的他動詞文の実現条件を影山(1996)の動詞の分類に基づき、形 態的、意味的、統語的な側面から考察し、日本語の非意図的他動詞文の実現条件を動詞の 形態と意味からある程度予測できることを示した。つまり、動詞の語彙特性によって外項 が「動作主」として指定される場合では、非意図的他動詞文が実現しにくく、外項が「動 作主」以外の意味役割を担うことができる動詞の場合は、非意図的他動詞文が実現しやす いという傾向が分かった。jp1727-7183國外徐佩伶是CHN
15 104/2 日文系 富田哲 副教授 期刊論文 發佈 [書評]山本和行著『自由・平等・植民地性ー台湾における植民地教育制度の形成』 , [104-2] :[書評]山本和行著『自由・平等・植民地性ー台湾における植民地教育制度の形成』期刊論文[書評]山本和行著『自由・平等・植民地性ー台湾における植民地教育制度の形成』富田哲国家教育社;教育制度;自由;平等;植民地性;義務教育天理台湾学報 25, pp.205-214本稿は、2015年に刊行された山本和行『自由・平等・植民地性―台湾における植民地教育制度の形成―』(台北:国立台湾大学出版中心、800元、ISBN:978-986-350-072-8)の書評である。著者は、自由・平等・植民地性という概念をキーワードとして、日本統治初期台湾における教育制度の形成を、1890年代の教育制度をめぐる議論の動向と対照させながらあきらかにしようとしている。というのも、1890年代の議論において大きな位置を占めていた国家教育社という全国的な教育団体の社員が、日本統治草創期の台湾の教育行政および教育現場で重要な役割をになっていたからである。  使命感をいだいて「新領土」台湾へわたった国家教育社社員の存在を考えれば、「内地」での議論を背景として台湾で教育費の国庫負担や義務教育の実施が検討される可能性もあったように思われる。しかし結局は、「内地」と「外地」の峻別を前提として教育制度の構築が進み、植民地性が付与されていくことになった。jp1344-3291國外否JPN
16 91/2 亞洲所 蔡錫勳 副教授 期刊論文 發佈 脫日本‧超アメりカ的経営-日米企業の一連の不祥事を中心として- , [91-2] :脫日本‧超アメりカ的経営-日米企業の一連の不祥事を中心として-期刊論文脫日本‧超アメりカ的経営-日米企業の一連の不祥事を中心として-蔡錫勳日本的経営;アメり力的経営;経済的な原爆;BSE(狂牛病)淡江日本論叢 12,頁283-306アメリカ的経営はいつも日本企業の手本である。日本の学者や経営者はずっと日米経営の差異を議論してきた(加護野他、1997;八城、2000)。もちろん、どんな経営手法にも問題があり、他人の長所が必ずしも自らの企業体質に合うとは限らないが、日本の長引く不況と90年代のアメリカ経済の繁栄に伴って、グローバル・スタンダードという名のアメリカ的経営の見方に傾く議論が多くなった(糸瀬、1998;蔡、2002)。アメリカ的経営が礼賛される一方、米通信大手2位のワールドコムの不正経理疑惑・破たんはアメリカ的経営の不完全さを示すものだった。確かに、アメリカ的経営は短期志向の弊害を生じたが、腐ったリンゴを除去するという自浄作用について言えば今後も日本企業の手本であり続けることは間違いない。現在、アメリカ企業はどこが悪かったか、失敗の再発をどう防げばいいかを必死に検証している。日本企業はアメリカ的経営を批判する同時に、後発としてアメリカ企業の失敗を学習すべきではないか。jp2075-356X國內0TWN
17 101/1 日文系 內田康 副教授 期刊論文 發佈 村上春樹『1Q84』論―神話と歴史を紡ぐ者たち― , [101-1] :村上春樹『1Q84』論―神話と歴史を紡ぐ者たち―期刊論文村上春樹『1Q84』論―神話と歴史を紡ぐ者たち―The Weavers of Myths and Histories: On Haruki Murakami's "1Q84"內田康『妹の力』;王殺し;起源神話;歴史の書き換え;対抗的テクスト淡江日本論叢 26,頁3-28村上春樹にとって、日本古典は文学的原体験の一つであり、特に、ごく若い頃からの愛読書だった『雨月物語』や『平家物語』などは、近年長篇小説中に引用までなされるようになっている。だが『1Q84』において、ただ一度だけしか言及されることのない『古事記』も、その意義は『平家物語』以上に重要である。この歴史叙述における口頭表現の文字化という生成プロセスは、従来柳田國男『妹の力』などで主張された稗田阿礼女性説を考え併せた場合、小説内で主人公・川奈天吾によってリライトされる作中作『空気さなぎ』の成立過程にそのまま重なり、『1Q84』の世界を規定する起源神話としての意味を、作品の背後で支えるものとなっていると考えられる。村上作品については、初期段階から小説構造に神話性が濃厚だとの指摘がなされてきたが、『1Q84』において作品内に散見される神話的要素以上に看過しがたいのは、小説中で『空気さなぎ』が起源神話のメタファーとしての機能を果たしている点であり、それによって、「1Q84年」の世界から天吾と青豆が離脱するという結末も、既存の神話や歴史に人が如何に対抗しうるかの可能性の提示たりえているのである。 Approaching to the Japanese classics is one of the literal prototypical experiences for Haruki Murakami. In his works of recent years, he does even quote from those books such as ”Ugetsu-Monogatari” and ”The tale of the Heike”, which were extremely favorites from his youth. And as for ”Kojiki”, although it mentioned only one time in his
18 103/1 日文系 廖育卿 副教授 期刊論文 發佈 日本語学習の視点から見た台湾学校茶道の可能性-淡江大学茶道部の事例研究- , [103-1] :日本語学習の視点から見た台湾学校茶道の可能性-淡江大学茶道部の事例研究-期刊論文日本語学習の視点から見た台湾学校茶道の可能性-淡江大学茶道部の事例研究-從日語學習看在台灣實行茶道教育的可能性:淡江大學茶道社之事例研究廖育卿日本茶道;日語學習;學習慾望;相互影響淡江大學日本語文學系淡江日本論叢 30,頁23-48日本では、茶道は人格養成の一環として見なされているが、らい湾では、日本伝統文化の代名詞として評価されている。本研究報告は、大学の茶道部における教育実況についてアンケート調査を行い、調査結果に基づき考察するものである。茶道によって日本語学習の効果と両者間の関連性の分析を通して、茶道という文化面が日本語学習に及ぼす影響と、茶道から日本語を学習する教育法が台湾で実行する可能性を試みる。tku_id: 000135990;Submitted by 育卿 廖 (135990@mail.tku.edu.tw) on 2015-07-23T07:24:36Z No. of bitstreams: 0;Made available in DSpace on 2015-07-23T07:24:37Z (GMT). No. of bitstreams: 0jp2705-356X國內否TWN<links><record><name>機構典藏連結</name><url>http://tkuir.lib.tku.edu.tw:8080/dspace/handle/987654321/103432</url></record></links>
19 102/2 日文系 廖育卿 副教授 期刊論文 發佈 『奉教人の死』における〈刹那の感動〉の再検討-女性登場人物の愛情表現を踏まえて- , [102-2] :『奉教人の死』における〈刹那の感動〉の再検討-女性登場人物の愛情表現を踏まえて-期刊論文『奉教人の死』における〈刹那の感動〉の再検討-女性登場人物の愛情表現を踏まえて-《奉教人之死》之「刹那間的感動」再考-女性角色之愛的表達廖育卿淡江大學日本語文學系愛的表現;女性;母性;發狂;謊言;愛情表現;女性;母性;狂気;嘘新北市:淡江大學日本語文學系淡江日本論叢 29,頁53-75本研究は『奉教人の死』における女性登場人物の愛情表現を踏まえて、〈刹那の感動〉の位置づけを再考することを目的としている。本稿では、まず、傘張の女と「ろおれんぞ」のそれぞれの愛情表現を分析し、『奉教人の死』の二人の女性登場人物に見られる特徴を見出した。次に、それを踏まえて『奉教人の死』における最大のポイントである〈刹那の感動〉の位置づけを再検討した。&#x0D; 傘張の女と「ろおれんぞ」の描写の考察を通して、二人の女性の愛のあり方が異なっていることがわかる。傘張の女の愛情表現は率直にありのままを表すものであり、彼女自身の意志に忠実な〈表顕的愛〉である。それに対し、「ろおれんぞ」の愛情表現は自らの理由によって女性という正体を暴露できない故、かすかに読み取られる程度のものであるが、実際は他人の子供を救うため自分の命も惜しまぬ程の力を持った〈隠微的愛〉であるといえる。&#x0D; また、二者の愛の表現の共通点が「嘘」というキーワードを出発点として、〈刹那の感動〉のもう一つの解釈が得られた。それは、「ろおれんぞ」の〈隠微的愛〉が明らかにされ、いわゆる〈表顕的愛〉に転換したその瞬間に人々が感じたものである。一見宗教的な物語に見えるが、実は『奉教人の死』は女性の愛情表現、母性の表現、そして人々の愛に対する感動を語った多義性を持つ作品であるといえるのである。 本研究藉由考察芥川龍之介作品《奉教人之死》中的兩位女性角色的表達方式,分析出各自的愛的表現的特徵。並藉此特徵深入剖析《奉教人之死》文末所表達的「刹那間的感動」之真正意涵。從賣傘的女孩與「羅倫佐」二位女性角色上,可以看出其各自對愛及愛的表達方式大相逕庭;賣傘的女孩忠於自我,將內心的感受真實而直接地表露出來,感情奔放而強烈,可謂是『顯明之愛』;相對於此,「羅倫佐」雖因藏有不為人知的秘密,而無法公開原本為女兒身之事實,但為了救一個身陷火海的純真嬰兒,亦不惜犧牲
20 101/1 日文系 曾秋桂 教授 期刊論文 發佈 3・11以後日本文学の表象―『それでも三月は、また』における「根源的な喪」の課題 , [101-1] :3・11以後日本文学の表象―『それでも三月は、また』における「根源的な喪」の課題期刊論文3・11以後日本文学の表象―『それでも三月は、また』における「根源的な喪」の課題Some Representations of Japanese Literature after 3.11: About the Subject of "Origin Mourning" in the Collection of Works "Soredemo Sangatsuwa Mada"曾秋桂日本語文學系暨研究所3・11;『それでも三月は、また』;「根源的な喪」;自己確認;3.11;"Soredemo Sangatsuwa mada";"origin mourning";"a self-check"淡江日本論叢 26,頁97-122本論文は、「第二の戦後」と言われるほどのショッキング的な3・11による日本文学に生じた振幅を見極める方針のもと、複数の作家による創作を収録し、3・11の一周年を迎える前に出版した『それでも三月は、また』(2012.2)をテキストにし、3・11を体験し、「根源的な喪」の課題に直面し、立ち直る道を模索する、同時代作家が持つ共時的ビジョンを最大公約数的に把握し、試みたものである。とりわけ、『それでも三月は、また』に収録された17本の作品の中では、「根源的な喪」から回復する具体的な手段とされた「自己確認」をテーマとした重松清の「おまじない」(2011)、池澤夏樹の「美しい祖母の聖書」(2012)、角田光代の「ピース」(2012)の3作品を取り上げて具体的に論述した。結果としては、3作品とも、現日本社会では深刻になった「原発」の問題に向けて厳しく行った外的批判や激励ではなく、心中に深く長く眠っていて、忘れそうな暖かい思い出、あるいは日々の小さな出来事が「根源的な喪」の深淵から着実に生きていく力となるというメッセージを伝えている。ポスト3・11から何が生まれるのか、日本ではその動きが始まったばかりとも言えよう。 This paper is planned to discern the amplitude which arose in the Japanese literature by 3.11 which are called ”second postwar period”
21 101/2 日文系 落合由治 教授 期刊論文 發佈 マス.コラボレーション化する言語研究─異なる専門から学ぶ方法論 , [101-2] :マス.コラボレーション化する言語研究─異なる専門から学ぶ方法論期刊論文マス.コラボレーション化する言語研究─異なる専門から学ぶ方法論Language research transformed into the Mass collaboration: Methodology learned from different specialties落合由治淡江大學日本語文學系研究; 教育; 運用; マルチジャンル; メディアテクスト; Japanese language study; Japanese education; performance; multi-genre; media text韓國日本語學會일본어학연구=日本語學研究 36,頁1-21現在、日本では研究、教育の分野でもグローバル化の影響を受けて「従来の領域の停滞」と「新しい領域への模索」という交代期の現象が見られる。これは日本語学や日本語教育など日本語に関わる部分ばかりでなく、他の領域においても同様の現象が見られ、大学は危機の時代を迎えている。その点では2012年の『日本語の研究』に掲載された学会動向は非常に象徴的である。そこでは「日本語研究の成熟」、「中心的な現象の分析から周辺的な現象の分析へ」、「コーパスの整備」という成熟、停滞の側面と、「言語構造重視から言語運用重視へ」、「単一的な研究方法から複合的な研究方法へ」、「研究成果の電子化の進展」という他領域との連携を模索する動きとが拮抗している。本論文では、後者のマルチ·ジャンル的研究方法の一つとして『台湾日日新報』のビジュアル要素と広告、記事見出しの言語テクストとの関係を調査し、両者が密接な関係を持って20世紀前半のメディアテクストを形成していった過程を示した。他の領域と連携し学術の危機を乗り越える模索が今後は重要である。Made available in DSpace on 2015-01-08T07:44:03Z (GMT). No. of bitstreams: 0;2015-01-09 補正完成 by 何雯婷;Submitted by 由治 落合 (098194@mail.tku.edu.tw) on 2015-01-08T07:44:02Z&#x0D; No. of bitstreams: 0;tku_id:
22 103/1 亞洲所 小山直則 副教授 期刊論文 發佈 少子高齢化と経済成長ーイノベーション政策としての自由貿易ー , [103-1] :少子高齢化と経済成長ーイノベーション政策としての自由貿易ー期刊論文少子高齢化と経済成長ーイノベーション政策としての自由貿易ー小山直則淡江大學亞洲研究所少子高齢化;経済成長;イノベーション;グローバル 化台北市:政治大學國際關係研究中心問題と研究 43(3),頁103-124本稿では、少子高齢化がイノベーションの経路を通じて経済成長に与える影響について分析する。本稿の目的は、第一に、少子高齢化とそれにともなう人口減少が経済に与える影響について世界のデータを用いて分析することである。第二に、日本の長期データを用いて人口成長率と経済成長率の関係について調べることである。第三に、日本の 1980 年以降の資本係数と労働投入係数を推計し、イノベーションの役割について議論することである。第四に、少子高齢化がイノベーションを通じて経済成長にどのような影響を与えるかを分析することである。本稿の主要な結論は、少子高齢化にともなって人口が減少する社会においてグローバル化を進めることがイノベーションを促進し、持続的な経済成長を維持する上で重要であるということである。2014-11-06 補正完成 by 何雯婷;tku_id: 000135152;Submitted by 直則 小山 (135152@mail.tku.edu.tw) on 2014-11-04T11:28:30Z&#x0D; No. of bitstreams: 1&#x0D; 季刊43-3-04(小山直則).pdf: 618366 bytes, checksum: c0efafb7ac1477dea1820e8bd018d1ff (MD5);Made available in DSpace on 2014-11-04T11:28:30Z (GMT). No. of bitstreams: 1&#x0D; 季刊43-3-04(小山直則).pdf: 618366 bytes, checksum: c0efafb7ac1477dea1820e8bd018d1ff (MD5);2014-11-06 補正完成 by 何雯婷jp0288-7738國內是TWN<links><record><name>機構典藏連結</name><url>http://tkuir.lib.tku.edu.t
23 100/1 亞洲所 蔡錫勳 副教授 期刊論文 發佈 日本版グリーン革命の構築 , [100-1] :日本版グリーン革命の構築期刊論文日本版グリーン革命の構築蔡錫勳淡江大學亞洲研究所軽薄炭省; 温室効果ガス; 鳩山イニシアチブ; 太陽光発電; 世界標準台北市:政治大學國際關係研究中心問題と研究 40(3),28頁日本の産業発展は、戦後の造船や鉄鋼業といった「重厚長大」産業から、1980 年代には家電などの「軽薄短小」産業に移り変わり、現在は環境を重視する「軽薄炭省」の新時代を迎えている。では、日本は優れた環境・エネルギー技術を持っているが、それだけで戦略的世界標準を獲得できるのであろうか。ましてや、「世界標準を取れば市場が 取れる」というわけではないのである。&#x0D; 結論として、グリーン革命は20 世紀型文明の行き詰まりと石油中心経済の限界を示している。日本の環境・エネルギー技術は日本のみならず、全世界の共通資産である。経済発展と環境汚染は決してトレードオフの関係ではない。日本が環境への対応から利益が得られることを示せるなら、発展途上 国はそれを見て素早くキャッチアップするであろう。tku_id: 000114550;Submitted by 錫勳 蔡 (114550@mail.tku.edu.tw) on 2014-10-08T05:27:49Z&#x0D; No. of bitstreams: 0;Made available in DSpace on 2014-10-08T05:27:49Z (GMT). No. of bitstreams: 0;2014-11-20 補正完成 by 何雯婷ja0288-7738<links><record><name>機構典藏連結</name><url>http://tkuir.lib.tku.edu.tw:8080/dspace/handle/987654321/98995</url></record></links>
24 102/2 日文系 施信余 副教授 期刊論文 發佈 対面接触場面における調整行動―台湾人日本語学習者と日本語母語話者の会話より― , [102-2] :対面接触場面における調整行動―台湾人日本語学習者と日本語母語話者の会話より―學位論文対面接触場面における調整行動―台湾人日本語学習者と日本語母語話者の会話より―The Behavior Adjustment Occurred in Face-to-face Conversation - Based on observation between Taiwanese Japanese learner and Japanese Native speaker施信余淡江大學日本語文學系対面接触場面;意味交渉;上級日本語学習者;形式調整行動;内容調整行動;face-to-face conversation between native speaker and non-native speaker;negotiation of meaning; advanced Japanese learner; adjustment in form;adjustment in content東京:ココ出版日本語/日本語教育研究 5 ,pp.191-206本研究では、日本語母語話者と台湾人日本語学習者による接触場面での自然会話を取り上げる。分析に用いた対面接触場面での会話は、人間の相互作用としての「言語運用」の分析に適した形で文字化され、公開されている宇佐美まゆみ監修(2011)『BTSJによる日本語話し言葉コーパス(トランスクリプト・音声)2011年版』の中の12会話(初対面二者間・雑談)である。それらの会話データを、コミュニケーション問題を解決するために行われる調整ストラテジーにはどのようなものがあり、それぞれの調整ストラテジーがインターアクションの中でどのように機能しているかについて考察した。その結果、会話参加者の考えている内容を重視する場面では、母語話者と学習者の間の言語ホスト対言語ゲストという固定化した関係が崩れる可能性が示唆されている。;This study is aimed to analysis the real conversation between those Japanese native speaker and Taiwanese Japanese learners, and clarifies in the scenery of a face-to-fac
25 102/1 日文系 內田康 副教授 期刊論文 發佈 回避される「通過儀礼」―村上春樹『羊をめぐる冒険』論― , [102-1] :回避される「通過儀礼」―村上春樹『羊をめぐる冒険』論―期刊論文回避される「通過儀礼」―村上春樹『羊をめぐる冒険』論―The evaded rite of passage:A study on Haruki Murakami、A Wild Sheep Chase;遭迴避的「通過儀禮」- 探討村上春樹《尋羊冒險記》-內田康淡江大學日本語文學系羊をめぐる冒険; 羊をめぐる冒険; 王殺し=父殺し; 金の羊毛伝説; 地獄の黙示録; 尋羊冒險記; 通過儀禮; 弒王=弒父; 金羊毛傳說; 《現代啟示錄》; A Wild Sheep Chase; rite of passage; regicide = patricide; the legend of the Golden Fleece; Apocalypse Now新北市:台灣日本語文學會台灣日本語文學報 34,頁27-52村上春樹の初期長篇の一つである『羊をめぐる冒険』(1982年) には、これまで物語の型としての「通過儀礼」の存在が指摘されて きたが、その中に最終的に主人公の「人間的成長」や「自己実現」を認めるか否かで、先行研究の見解は分かれている。本稿ではこの作品を、ギリシャ神話における「通過儀礼」的な英雄冒険譚の代表「金の羊毛伝説」と対比しつつ、上記の原因が、主人公「僕」の「冒 険」の物語の背後に、友人「鼠」の「通過儀礼」としての〈王殺し=父殺し〉の過程が並行しているのを見過ごしてきた点にあったことを指摘する。またこの小説においては、「僕」は『風の歌を聴け』や『1973年のピンボ一ル』等同様、「冥府下り」による〈死者との邂逅〉を行うに止まり、一方で「鼠」も、「羊」を斃すことで象徴的に〈王殺し=父殺し〉を果たすものの、自らも命を落としてしまうため、いずれにせよ結果的に「通過儀礼」の完遂は回避されてしまうのだが、こうした物語展開に、F.F.コッポラの映画『地獄の黙示録』に見られる、J.G.フレイザ一の『金枝篇』を換骨奪胎した〈王権の存続を否定するための王殺し〉、という主題からの影響を想定してみたい。;村上春樹早期長篇小說之一《尋羊冒險記》(1982)當中,被認為存在著既有的故事形態的「通過儀禮」,但對於是否肯定主角的「人性成長」或「自我實現」這點,先行研究有著不同意見。本論文將拿這部作品來比照希臘神話中
26 101/2 日文系 顧錦芬 副教授 期刊論文 發佈 賢治童話「なめとこ山の熊」に見る異化手法―語り手を中心に , [101-2] :賢治童話「なめとこ山の熊」に見る異化手法―語り手を中心に期刊論文賢治童話「なめとこ山の熊」に見る異化手法―語り手を中心に賢治童話「滑床山之熊」之陌生化手法-以敘事者為中心;The Defamiliarization of "the Bears in Mt. Nametoko": Centered on the Narrator顧錦芬淡江大學日本語文學系宮沢賢治; なめとこ山の熊; 異化手法; 語り手; 宮澤賢治; 童話; 滑床山之熊; 陌生化; 敘事者; Miyazawa Kenji; Fairy tale; The Bears of Mt. Nametoko defamiliarization; Narrator新北市:淡江大学日本語文学系出版淡江日本論叢 27, pp.47-69賢治童話「なめとこ山の熊」における語り手は特異で目立つ存在である。これに関する先行研究はあるが、異化手法の観点から論じられたのではない。文学研究史上、文学性とは何かという問題に初めて真正面から取り組んで、しかもそれを学術的に論究した人物が、ロシア ‧フォルマリズムの代表的な文学理論家であるヴィクトル・シクロフスキー(1893~1984)である。彼の革新的な論述が近現代の文学理論に多大な影響を与えた。その論述の核心的な概念が異化手法である。異化手法を簡潔に説明してみれば、習慣化した日常言語を、新しい文脈においたり、特異で新鮮な表現をしたりすることによって文学言語にする工夫であるということになるのであろう。「なめとこ山の熊」の語り手の特異さから異化手法との関連が考えられるので、本稿では、異化手法の理論から「なめとこ山の熊」における特異な語り手を解析してみようと思う。;賢治童話「滑床山之熊」中的敘事者是特異且突出的,有關此點已有先行研究,然皆非由陌生化手法觀點論之。文學研究史上,首位提出文學性生成的原理且以學術方法深入探討的是俄國形式主義文學理論代表人物史克洛夫斯基(1893~1984),其革新的論述影響了後世的近現代文學理論甚鉅,其中的核心概念就是陌生化手法,簡言之,就是將慣性的僵化的日常語言,轉化為特異的有新鮮感的文學語言的手法。由於「滑床山之熊」中的敘事者之特異性或與陌生化手法相關,本文乃試圖援用陌生化手法的理論來探討「滑床山之熊」中特異的敘事者。;T
27 91/2 日文系 周躍原 講師 期刊論文 發佈 《おぼえておきたい日中同形異義語300》における中日対訳の--考察 , [91-2] :《おぼえておきたい日中同形異義語300》における中日対訳の--考察期刊論文《おぼえておきたい日中同形異義語300》における中日対訳の--考察探討『中日同形異義詞300』一書中之中日對譯闕文三=Chiueh, Wen-san淡江大學日本語文學系同形異義語;意味;中日対訳;誤訳;改訳台北縣:淡江大學日本語文學系淡江日本論叢=Tamkang Japanese Journal 12,頁111-130光生館により出版された《おぼえておきたい日中同形異義語300》という本では、日中同形異義語の微妙な差異を多くの例文によって説明している。語嚢の的確な使い分けが、翻訳・通訳の角度から見た場合、きわめて重要な問題なので、筆者の担当している日本語翻訳・通訳のクラスでも、この本を自習教材として学習者に読ませている。しかし残念ながら、この本の例文の中日対訳には、誤訳または誤訳とまで言えなくても議論される余地のあるようなものが多数見られる。学習者に読ませる前に、それらの不適切な対訳を指摘しておく必要がある。そこで、本稿ではページを追ってそのような対訳を取り上げ、一つ一つ分析して改訳してみる。201304013 已補正 by yuchi;tku_id: 000109282;Made available in DSpace on 2013-04-17 (GMT). No. of bitstreams: 0jp2705-356X國內否TWN<links><record><name>機構典藏連結</name><url>http://tkuir.lib.tku.edu.tw:8080/dspace/handle/987654321/29285</url></record></links>
28 89/2 日文系 陳伯陶 榮譽教授 期刊論文 發佈 『平家物語』と諸行無常 , [89-2] :『平家物語』と諸行無常期刊論文『平家物語』と諸行無常陳伯陶淡江大學日本語文學系諸行無常;因果応報;王法;仏法;正統論;道德論台北縣:淡江大學日本語文學系淡江日本論叢=Tamkang Japanese Journal 10,頁29-50『平家物語』』の原本は、承久年間から仁治年間(1219~1243年)に書かれた平家一門の栄華とその没落・滅亡を描いたもので、仏教の因果観・無常観を基調とした和漢混淆文で、更に対比の手法を交えた散文体の叙述詩である。当初書かれた『平家物語』には読み本と語り本があり、語り本の方は琵琶法師によって幾層にも加筆され、それが語りによって一般大衆に歓迎され、延々と今日に至っている。これは恰も中国の『三国志通俗演義』が『三国志演義』、更にただの『三国志』-と変遷を重ね、この歴史の語り本は民衆の喝采を浴びた。それが正式の読み本になったのは明の羅貫中に手によるものである。語り本の性格としては、どうしても善玉・悪玉が必要であり、悪玉の曹操(魂)が勝てば民衆は涙し、善玉の劉備(蜀)が勝利を収めると大衆は拍手するこのパターンは、昔から今に至るまで変わらない。歴史学的見地から見るに、『三国志』にしろ『平家物語』にしろ、これを正統論として客観的に史実を叙述するのか、あるいはこれを道徳論として歴史を解釈するかによって、善玉・悪玉は変わる。本論では歴史的視点からこの文学書(戦記物語)を解釈し、正統論によって書かれた『平家物語』を再考すものである。本文では、先ず『平家物語』が今でも不朽の名著として一般大衆に好まれている原因を述べ、次いで『平家物語』が正統論の根拠とする王佐・仏法の衰微が平家一族によってもたらされたというその矛盾を衝き、更に悪玉であった平家一族の罪業を、作者は対比の手法を使ってそれを一層増幅することによって筆誅し、最後にこの『平家物語』を単に戦記物語として解読するのではなく、その中に因果論に潜む肉親・親子・夫婦、そしていつの世でも戦乱に泣く女性の秘話・哀話を述べることによって、『平家物語』がいっまでも大衆の心琴を揺さぶってやまないその根源を指摘し、一般の「勝てば官軍」式の歴史書として『平家物語』を読むのとは別の視点から、これを道徳論として解読することも-つの読み方ではないかと愚見を述べたものである。201304015 已補正 by yuchi@@dds@
29 96/1 日文系 落合由治 教授 期刊論文 發佈 「作品」という「現実」--佐藤春夫「日章旗の下に」をめぐるノート , [96-1] :「作品」という「現実」--佐藤春夫「日章旗の下に」をめぐるノート期刊論文「作品」という「現実」--佐藤春夫「日章旗の下に」をめぐるノート落合由治; Ochiai, Yu-ji淡江大學日本語文學系台北縣:淡江大學日本語文學系淡江日本論叢=Tamkang Japanese Journal 16,頁111-134201304013 已補正 by yuchi;tku_id: 000098194;Made available in DSpace on 2013-04-17 (GMT). No. of bitstreams: 0jp2705-356X國內否TWN<links><record><name>機構典藏連結</name><url>http://tkuir.lib.tku.edu.tw:8080/dspace/handle/987654321/29289</url></record></links>
30 100/1 日文系 落合由治 教授 期刊論文 發佈 ジャンル性における小説テクスト--芥川龍之介の「歴史王朝物」の文章構成 , [100-1] :ジャンル性における小説テクスト--芥川龍之介の「歴史王朝物」の文章構成期刊論文ジャンル性における小説テクスト--芥川龍之介の「歴史王朝物」の文章構成從芥川龍之介王朝歷史小說的文章結構論述類型性中小說本文的意義;A Genre Characteristics in Novel Text: Some Considerations by Text Constitution of Akutagawa Ryunosuke's "Rekishi Oucho Mono"落合由治淡江大學日本語文學系小説テクスト ; ジャンル ; 語彙 ; 指示対象 ; 記号;小說文本 ; 類型 ; 語彙 ; 指示対象 ; 符碼 ; Novel text ; Genre ; Vocabulary ; External instruction object ; Sign新北市:台灣日本語文學會台灣日本語文學報=台湾日本語文学報 30,頁293-318社会的に広く用いられている文章のジャンルという概念は、明確な定義や分類基準がなく、研究で用いる場合には、慎重に扱う必要がある用語である。そこで本論文は、特にジャンル分類が作品の読みに影響する文学作品について、文章構成の類似度が高い芥川龍之介の「歴史王朝物」の代表作「羅生門」と「キリシタン物」の有名作「南京の基督」を分析のサンプノレに選んで文章構成の把握をおこない、それに基づいてどのような文章中の要素が「膝史t朝物」「キリシタン物」というような作品ジャンノレ決定に関わったと想定されるかを考察した。考察の結果、以下の点、が明らかになった。(1)「歴史王朝物」の「羅生門」と「キリシタン物」の「南京の基督」の文章構成はまったく同ーである。(2)「歴史王朝物」と「キリシタン物」という従来のジャンル決定の基準に成っていたのは、作品中の歴史、キリシタン、地域などに関わるジャンノレ付与語棄と、それが作る文脈の中で間有の意味を初めて持つ多義的語棄である。以上の結果から、従来は文章の指示する外的指示対象(世界)が文章ジャンノレを決めているように考えられてきたが、そうではなく、受容者が受容した語裳の記号性が外的指示対象(世界)を一種の図として浮上させていたと考えられる。;社會上廣被使用的文章類型概念,其實沒有明確的定義以及分類基準,於是當使用於研究上更需
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